私は食べ物の好き嫌いは、ほとんど無い。
しいていえば、肉の脂身くらい。
それも、美味しいものなら食べられる。
豚足とかブルーチーズとか、クセのある食べ物も好きです。
むしろ大好きです。
小さい時から食べ付けていて、美味しいものだという事がわかっているから。
「人」ついても好き嫌いは、そんなにない方だと思う。
人についていろいろ観察したり、様々な事を感じても、
それで嫌いになるかは、私にとってはまた別の話。
でも、万人が嫌う性質・・・
明らかにおかしい奴だと感じ取る力には自信がある。
中でもやっかいなのは、「微妙にいいひと」。
職場などでも、本当に誰がみても嫌な奴というのは、周囲にも同意を求めやすい。
でも、近しい関係でしかわからない不快な奴というのは、とても扱いづらい。
まず、「この人は、本当に嫌なやつなんだろうか。
自分がわがままなのか、もしくは自分と合わないだけなのではないか?」
という検証からはじまる。
その検証がはっきりしないうちは、
相手の扱い方や付き合い方にとても迷いが出てしまう。
でも今までに、そんなシチュエーションをを何回も繰り返してみて、
結局自分の感性はさほど万人とずれていない事がわかってきた。
だから最近は、自分が嫌だと思った人に出会ってしまった時でも、
心に余裕を持てるようになった。
「なるべく人を嫌いにならないようにしていて、
かつ、万人と共有出来る感性を十分に持ち合わせている自分」が
嫌いだと思う人は、多くの人が嫌だと感じるような
「明らかに不快な奴」だという事に、自信を持っている。
そして、慎重な検証を重ねてきた過去の実績もあるので、
人と違ってしまった時の、「自分だけの感じ方」というものも
大切にしたいと思っている。
最近、すごく嫌いな人に出会った。
はじめから嫌いだった訳ではない。
私は初対面の相手には、「いい人」という前提で、
コミュニケーションをとるようにしているから。
でも、今思うと生理的に受け付けないというか、「いけすかない顔」だった。
一見、魅力的ともとれる話題を重ねられる度に、
なぜかどんどんつまらなくなるし、
まるで目に見えるように不快な気持ちになっていった。
性質及びライフスタイルは、多分、いや絶対、
表面(表情)にあらわれるものだと思う。
でも、もう会う事はないと思う。
その人は多分、誰よりも自分の事が大事な人だから、
少しそっけない態度をとっただけで、すっとひいていってくれた。
わかりやすいから、ある意味よかったのかも。
そして、そのわかりやすいリアクションがまた、気持ち悪かった。
でも、すっきりした。
もっといじめてやればよかった・・・というのは、もう一人の自分。
不快な奴というのは、人の良い面でなく嫌な面を引き出すのが得意なんだ。
仕事でもなければなおさら、無理して付き合う価値なし。
「ダメダメ、うっかり仕事で組んだりしたら、もっとやっかいだよ!」と、天の声。
そう、お金もらえたとしても会いたくないくらい、嫌い。
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