聖夜に(昨夜)......
大便に関する夢をみました。
はっきりとは書けないのですが、(壮大な)ボットン便所が登場したり.....
うちは遠い昔、ボットン便所だったので、
その頃の体験や光景の進化型がたま〜に夢に登場する事があります。
と、いう事は、ボットン便所の経験の無い人は、夢にすらみないのか??
というような事をクリスマスに考えていました。
ある意味、幸せだと思う。
あと、いつもの美容院へカットに行った。
年末恒例、ハンドクリームもらった。
さっき、見ず知らずの人の、たまたまみつけたブログを読んでいたら、
どうもその人は「仕事のできる」、
自分にも他人にも厳しいタイプの
30代女性デザイン職の人らしいのだけど、
なんか変にとんがってて、人をみる時のその厳しさといい、
そんな風に生きていたら疲れそうだと思った。
たしかに的確な事を書いているし、共感する部分も少なくない。
更にそのご自分のすぐれた観察力を表面的には
出さないようにしているみたいだし、
しかもきっとそれも上手に出来ている人なのだろうけど、
私はやっぱり、あえて意識しているわけでもなく自然な状態で、
普通にほがらかでやさしい人が好きだと思った。
自分自身でもいろんな事に気づいてしまう部分はあるけど、
みえてしまっても、水面下の自分の中の意識レベルで、
あえてスルーするスキルも大らかさも持ち合わせている人がいい。
せっかく最近は、自分もそう出来ていると思っていただけに。
きっと、ああいう人(見ず知らずブログの人)と
接する機会が増えたら、
自分の良い部分ではなく、嫌な部分が引き出されてきてしまいそう。
結果、不幸になっていきそう。
カタカナ職業に憧れて??、色彩検定とか、コーディネーターとか、
クリエイティブ系の資格取得にはしりがちな人々の事をどうして、
「デザイナーの本質や現実をわかっていない」とか、
そんな卑屈な目でとらえるのか??
「卑屈な思考」ってキライ......
「ひたむき」だとか、「かわいいもんだ」とか思えないのか??
というか、自分の場合、本当にめんどくさい人は、
無意識レベルで既に、切り捨てちゃってるのかもしれないけど。
でも、資格なんて、勉強のためとか何もしないよりはマシと思って、
気軽にとっても別に良くないかな。
で、自分がそんな感じの仕事したいと思ったら、
その資格を引っさげて、
気軽に応募くらいしてもいいんじゃないかな。
で、駄目だったら、その時点で自分が気づけばいいんじゃないかな。
そういうのって自由だし、
理想や希望はあるのに、ウジウジしてばかりで何もしない人より、
よっぽどいいんじゃないのかな。
労働者というか、それ以前に人として当たり前の権利じゃん。
なんだか、思考に柔軟性がないというか.....
仕事ができるとか、我慢強いとか、頭が良いとか、気が利くとか、
そういう事が必ずしも人を幸福にするとは限らない。
でも本当の意味で仕事ができる人は、
そんな小さな事にはこだわらないはず。
実際、いい仕事をしていたり、有能な人であればあるほど、
謙虚でやさしい人が多い。
少なくとも自分が出会ってきた人々は。
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